ヤクルト1000のCM「希望の朝(杏)」篇が「うるさい」「耳障り」「不快」と話題になっています。「杏は嫌いじゃない」という前置きをしたうえで不快感を訴える声が多数を占めているのが特徴で、批判の矛先はCMの内容・演出そのものにあることを多くの視聴者が自覚しています。

「希望の朝(杏)」篇の全容——何が話題になっているのか

ヤクルト1000・Y1000のイメージキャラクターを務める杏さんが、2025年11月25日から放映の「希望の朝(杏)」篇で屋上に立ちラジオ体操の歌「新しい朝が来た、希望の朝だ」を伸びやかに歌い上げるというCMです。同じ構成で山田孝之さんが歌う「希望の朝(山田孝之)」篇も並行放映されていますが、批判の声は杏篇に集中しており、山田孝之篇への不満はほぼ見られません。この非対称な反応こそが、不快感の正体を解き明かす鍵になっています。

商品名 Yakult(ヤクルト)1000 / Y1000
篇名 「希望の朝(杏)」篇・「杏とラジオ体操」篇(15秒・30秒)
放映開始 2025年11月25日〜全国
出演 杏さん(Yakult1000イメージキャラクター)
並行篇 「希望の朝(山田孝之)」篇(Y1000イメージキャラクター/批判なし)
CM内容 屋上でラジオ体操の歌「新しい朝が来た、希望の朝だ」を歌い上げる
公式の意図 「歌と朝日」のシンプルな構成で商品飲用後の理想の朝のイメージを訴求

「うるさい・耳障り・不快」——否定的・批判的な声

否定的・批判的な意見

  • 「杏(と山田孝之)が突然歌いだすヤクルトのCMがうるさすぎて、聞こえた瞬間テレビをミュートにするし、以降のCMもミュートにしたままなので、ヤクルト以外のCMにも悪影響を及ぼしてる」——CMの不快感がヤクルト以外の広告にまで波及するという、広告主にとって深刻な問題を指摘したコメント。高畑充希さんの「紅」篇CMとの類似も指摘されている
  • 「ヤクルトのCMそろそろ耳障りになってきた。杏は嫌いじゃないけどね」「杏ちゃん嫌いじゃないんだけど、あのCMのラジオ体操の歌い方が何故か苛っとする。山田孝之の方は何でもない。何故か分からない」——杏さん本人への好感は保ちながら、CMへの不快感が拭えないという複雑な心境を吐露するコメントが複数見られる
  • 「ヤクルト1000の杏のCM苦手。杏歌上手いだろうし、今まで何も感じなかったのに、ラジオ体操の歌はなんか違う。ポップと唱歌の間感が違うんかな」——「杏が歌下手なのではなく、ラジオ体操という曲と杏の声質・スタイルの組み合わせが違和感の正体」という分析的な声
  • 「杏がやってるヤクルトのCMが流れたからチャンネル回したらそこでも流れてて消した」——複数チャンネルに同時出稿されることへのストレス。接触頻度の高さが不快感を増幅させているケース
  • 「歌い方やかましいわ」「歌声が不快すぎる」——直接的な表現でのネガティブ反応。「やかましい」という言葉は歌の上手下手ではなく「音量感・押しつけ感」への批判として読める


https://twitter.com/adeya0903/status/2018143074502021594

ウサギさん
「杏が嫌いなわけじゃない」って前置きする人がほぼ全員なのが特徴的で、これってCMの企画・演出自体への批判であって、杏さん個人への批判じゃないって視聴者自身がちゃんとわかってるんだよね。

カエルさん
「山田孝之篇は何でもない」という比較が複数出てるのが興味深くて、まったく同じ構成・同じ曲でも声質や歌い方によって不快感の有無が分かれるってことがわかる。CM企画より声質×曲の組み合わせが鍵かもしれない。

肯定的・好意的な意見

  • 「杏さんがヤクルトのCMで歌ってるラジオ体操の歌、素晴らしい歌声。海も山も超えてどこまでも届きそう」——杏さんの歌声を純粋に称賛するコメントも存在しており、批判一色ではない
  • ヤクルト公式の「ラジオ体操したくなった」という反応——山田孝之篇に対しては好意的な声が多く、同じ企画でも演者によって受け取られ方が大きく異なることを示している

ウサギさん
「海も山も届きそう」って表現は、裏を返せば「それだけ大きな声で歌っている」ってことで、この「届きすぎる感」が不快感の原因のひとつでもあるんだよね。
カエルさん
山田孝之篇には「ラジオ体操したくなった」って好意的な反応があって、同じ企画でも受け取り方が真逆になるのがCMの難しいところだよね。

なぜ不快感が生まれるのか——「ラジオ体操×声質」問題を考察する

「ポップと唱歌の間感」——声質と曲のミスマッチが不快感の正体

「杏が歌上手いだろうし、今まで何も感じなかったのに、ラジオ体操の歌はなんか違う。ポップと唱歌の間感が違うんかな」というツイートは、この不快感の正体を的確に言語化しています。

ラジオ体操の歌「新しい朝が来た、希望の朝だ」は、「誰もが子供の頃から慣れ親しんできた唱歌」として日本人の耳に深く染み付いた楽曲です。そのため脳内にある「ラジオ体操の歌のあるべき歌い方」のイメージと、洋楽寄りのビブラートや抑揚のある発声スタイルとの間に生じるギャップが「なんか違う」という違和感として知覚されると考えられます。

これは杏さんの歌唱力の問題ではありません。「歌がうまい人が情感豊かに歌えば歌うほど、原曲のイメージとのズレが大きくなる」という逆説的な構造がここにあります。山田孝之さんの篇に批判が少ない理由も、声質や歌い方が「唱歌的なフラットさ」に近く、視聴者の記憶にある「ラジオ体操の歌」との乖離が小さいためではないかと考えられます。

「高畑充希の紅と同じ感覚」——繰り返す構造的問題

複数のXユーザーが「以前の高畑充希のCMの時と同じ感覚」と指摘しており、これはヤクルトに限らず「好感度の高い女優が既知の名曲を大音量で熱唱するCM」が生み出す不快感が、演者や商品を問わず繰り返し発生する構造的なCMの問題であることを示唆しています。

「突然歌いだす」という演出は、静かなテレビ視聴の中で予告なく大音量が飛び込んでくることになります。「聞こえた瞬間ミュートにする」「以降のCMもミュートにしたまま」という反応は、CMの不快感が単なる嫌悪ではなく条件反射的な回避行動にまで発展していることを示しており、広告として本来果たすべき役割(商品の印象向上)とは逆の効果をもたらしているケースと言えます。

ウサギさん
「ラジオ体操の歌を上手く歌えば歌うほど違和感が増す」って面白いよね。聴衆が持ってる「正解のイメージ」が強い曲ほど、アレンジや個性ある歌い方がズレとして感知されやすい
カエルさん
「以降のCMもミュートにしたまま」って、ヤクルト以外のスポンサーにも実害が出てるという指摘はかなり深刻だよね。CM戦略として得るものより失うものの方が大きくなってる可能性がある。

まとめ——不快感は「杏さん」ではなく「企画」への批判


ヤクルト1000の杏さんCMが「うるさい」「耳障り」「不快」と言われ続ける理由の正体は、杏さんの歌唱力や人柄への批判ではなく、「誰もが知る唱歌(ラジオ体操の歌)に個性的な歌唱スタイルをのせることで生まれる声質×曲のミスマッチ」「突然大音量で歌いだす演出の衝撃」「逃げ場のない大量接触によるストレス」の三重構造にあると考えられます。

「以降のCMもミュートにしたままなのでヤクルト以外のCMにも悪影響を及ぼしている」という指摘は示唆的です。CMが視聴者に「ミュート条件反射」を植え付けてしまうと、広告本来の役割を超えて他スポンサーにまで損害を与える事態になりかねないというのは、この種の「突然歌いだすCM」が抱える構造的なリスクです。

山田孝之さんの同構成篇に批判がほとんど出ていないことを考えると、ヤクルト側が特定の声質と「ラジオ体操の歌」の組み合わせに起因するリスクを事前に評価し得ていなかった可能性があります。「杏が嫌いなわけではない、このCMが嫌いなだけ」——この言葉が批判の本質をすべて表しています。

ウサギさん
山田孝之篇との批判量の差が、杏さんへの評価とは無関係に「声質と曲の組み合わせが不快感を左右する」というCM制作上の重要な示唆になってるよね。
カエルさん
「誰もが知る曲」をCMに使う場合、聴衆の中にある「正解のイメージ」との距離を測らないと逆効果になりやすい。これは高畑充希篇からの教訓でもある。
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